2015年3月7日 ペルー・パラカス
ピスコ港へ
午前中にバジェスタス島ツアーに参加した私たち。ランチは美味しいシーフードを食べたいと、タクシーでピスコ港へ向かうことにしました。(El Chaco→ピスコ港まではタクシーで5ソルほど)ピスコ港へ向かうタクシーの中では、イタリア人が楽しそうにドライバーとスペイン語でおしゃべりを続けています。
ピスコ港は漁から戻って来た船でいっぱい。
港ではせりが行われていました。鮮度は良さそうなので、期待できますね。
ピスコ港で絶品シーフード
タクシーのドライバーに紹介してもらった地元の人に評判のお店をご紹介します。ピスコ港からすぐ近くにあるレストランです。
Don Pancho
名前は失念してしまいましたが、イタリアでは高級な魚の部類とのこと。味がしっかりしていて脂が乗っていて、美味しかったです。イタリア人とふたりで骨までしゃぶる勢いで黙々と食べました。
価格はワイン込みで21ソル(約800円)。リーズナブルで良心的なお店です。
住所:Av. Genaro Medrano 812
ピスコの街と桟橋
ピスコ港からは、トゥクトゥクでピスコの中心部へ。ピスコは教会や公園などがある静かな街でした。
街中で「Pier」と書かれた看板が目に留まり、徒歩でピスコの桟橋(Muelle de Pisco)へ。
ぼろぼろの桟橋で、家族が平和そうに釣りをしていました。声をかけると、少年がカニや魚など釣れたものを見せてくれました。
桟橋を見ながら、私たちは物理的にも心理的にも、随分遠いところに来てしまったような気がしていました。
きっとこの時、私はイタリア人と一緒にいること自体に疲れていたのだと思います。
彼は「南米にいるのだから、スペイン語を使うべき」という考えが強いようでしたが、私にとってはスペイン語での会話はハードルが高すぎるため、できれば英語だけで話したいと思っていました。イタリア人にとって、スペイン語はイタリア語と非常に似た言語らしく、語尾を少し変えればスペイン語になってしまうという仕組みのようなので、なじみやすかったのでしょうね。
ピスコの海を眺めながら、もう潮時かなと。
お互い別々で旅したほうがいい。明日からはまたひとり旅に戻ったほうがいいな、と思いました。
海岸沿いからトゥクトゥクでピスコの中心部まで、そして乗り合いタクシーで宿のあるEl Chacoまで戻りました。
El Chacoの夜
イタリア人との最後の晩餐の夜。彼は私が気になっていた宿の近くのチチャロンのお店に付き合ってくれました。
El Chacoのビーチでは、この日お祭りが開催されていて、花火や露店など大勢の人で賑わっていました。
イタリア人とビールを1杯ひっかけた後、いつものピスコサワーを飲みました。クスコ、マチュピチュ、イカ、そしてパラカス。私たちは訪れた場所では必ずピスコサワーを飲むのが習慣になっていたのです。
イタリア人の彼は「ひとつの町に滞在してちょっとスペイン語を学びたい」と言いました。パラカスの近くに住む友人の家にお世話になるのだそうです。「君も泊まれるか聞いてみることはできるけど、どうする?」と聞いてきましたが、私は「リマに行くから大丈夫」と答えました。
私はペルービザの残りも少なかったこともあり、余計な選択肢がなかったのは幸いでした。ここで気持ちが揺らぐと、ズルズルといつまでも彼と一緒に居てしまいそうだったのです。私の推測ですが、彼は長年付き合って来た彼女と別れて以来、淋しかったのかもしれません。もっと早くに気づいていたら、彼と一緒にパラカスに来ることもなかったと思います。
そうそう、パラカスのお土産屋でブックマーカーを作りました。自分の名前のアルファベットで作ってもらうことができ、結構気に入っています。
*以上、2015年3月時点での情報をもとに記事を作成しました。(1ソル=約38.5円で計算)