2014年8月24日 仙台
東日本旅最終日。仙台の欅ゲストハウスをチェックアウトして、JRで松島へ向かいます。
初めて来た日本三景・松島
松島海岸駅に着いた時は、快晴!
松の木を見ると、北海道ではなく本州に来たのだなあと感じました。
遊覧船で島巡りをすることもできましたが、人だかりを見て乗る気が俄然萎えてしまいます。
瑞巌寺(ずいがんじ)で毎月24日に開催している参道市を、覗いてみることに。
食べ物やハンドメイドの小物などを販売していました。
ここにも震災の爪痕が…。
敷地内の千手観音などにも見入ってしまいました。
その後は、松島の象徴とも言える「五大堂」を見たり。
ここは瑞巌寺の守護として建てられたお堂。橋を透かし構造にしているのは、参拝時には身も心も乱れのないように、足下をよく見て気を引き締めさせるため、とされているそう。
松島は平安時代から、霊的な場所だったことがよくわかりました。
その後は、カステラで有名な松菓堂が入っているおしゃれなお土産物屋さんを見たり。
↓カキを使ったおせんべいや食料品を販売しているM Pantry
↓カキがごろっと中に入った揚げたてカレーパンのお店
このカレーパン、本当においしかった!!!駅に戻る途中、観欄亭というところで抹茶とお菓子をいただいて休憩しました。江戸時代に藩主や姫君、側室などに使われた宿泊休憩所らしいです。見晴らしがよく、海を一望することができます。
急ぎ足の松島観光でしたが、雰囲気は存分に味わうことができました。
大好きな先輩と10年ぶりに再会
東日本旅最終日の夜は、私が初めて就職した会社でお世話になったSさんと約10年ぶりに再会することになっていました。(しかも私が留学中にロンドンで会った時、彼は世界一周中でした)
仙台駅でピックアップしてもらい、車を走らせます。
Sさんは、1年ぐらい世界一周をした後、半年ぐらい日本を旅して、最終的に北海道から仙台に移住し、今は奥さんもかわいいお子さんもいて、仕事も順調そうです。まさに世界一周後の理想的な生活・・・!活き活きとした瞳。とても37歳とは思えないぐらい若い。(私も世界一周後にこんな人になれたらいいなあ)
利休の牛タンをごちそうになりました。
しかも、憧れていたSさんオリジナルTシャツまでGET!
先輩:「これ、ピンチの時に着てね。」
私:「一カ国目(メキシコ)がすでにピンチなんで、初日から着ていきます笑」
これで、世界一周のお守りアイテムがひとつ増えました。
震災の爪痕
Sさんは、その後私を車で仙台空港まで送ってくれることに。途中で「空港そばに震災跡があるから寄っていこう」と、海岸の近くまでやってきました。
一見、新興住宅街のように見えるきれいめなエリアを通った時、「あー、ここもずいぶん奇麗になっているな。」とSさんは言いました。震災直後はどれほどひどい状態だったのでしょう。
ここは、震災で津波が押し寄せた名取市の閖上町というところ。
震災前は、海岸沿いに松の木が一面にあったのに、今はたったのこれだけしか残っていないそうです。住宅街だった場所は、根こそぎ持っていかれて、一面まっさら。カーナビに映し出されている神社は、今はどこにあったかさえも知る術もない。何もない道路沿いに置かれた4台の自動販売機が、復興の大変さを象徴するかのように、ひっそりと置かれていました。
一面何もない土地に、この立派な家屋だけが、今も震災の貴重な資料として残されています。
海岸側は、半分倒壊していました。
2階部分のアンテナだけが、妙に生活感があって、生々しかったです。
この家に住んでいた方は、ちょうど津波が押し寄せてきた時、慌てて車に乗り、仙台空港に避難をして無事だったそうです。震災で家族や家や生活までも失ってしまった方々。中には、今もまだ存在しない車や家のローンを払い続けている人もいます。
Sさん(先輩)は震災の直後、仙台中心部にいました。
交通機関が分断され、食料の供給が追いつかなく、水も配給制で配っていた時、「自分の力を発揮できるのは今だ」と、自分に出来ることは何でもやったそうです。不謹慎かもしれないけど、「その時が人生で一番、血沸き肉踊った瞬間だった」と言っていました。
また、Sさんは私にこう言いました。
「人生の主人公は、自分だから。」
その言葉には、自分のことよりも人のことを考えるSさんが言うからこその重みがある。10年経っても彼らしさは健在で、今のSさんは世界一周中に会った時のSさんよりも、何故だかずっと輝いて見えたような気がしました。
空港で別れる時、Sさんが力強い握手をしてくれました。世界一周前に凄く勇気づけられました。ありがとう、Sさん。