2016年12月10日 エチオピア・メケレ
ダナキルツアー1日目です。
メケレを出発
ホテルで朝食を食べた後、8時頃エチオトラベルに集合しました。
同じ日に出発するツアー参加者は10人ほど。同じ車に乗り込んだのは、ガイドと銃を持った警備の男性、そしてアディスアベバから一緒にやってきたエリック、そしてクロアチア出身のおじさんマルコです。
この日、エルタ・アレ火山の拠点となるドドムという村を目指します。メケレから80km先にあり、所要時間は約6時間。移動中は砂や石ばかりの荒涼とした景色が続きます。
車道は舗装されており、見晴らしが良さそうなスポットでガイドが車を止めてくれ、簡単に地形の説明をしてくれたり、写真撮影タイムをくれました。
印象的だったのは、現地の少年たちです。ツアーの車だと気づくやいなや、遠くから猛スピードで駆けつけ、車道に立ちじっと見つめてくるのには違和感を覚えました。マルコはペンを何本も持ってきており、少年たちに配ったりしています。そうか、こういう人が居るからやってくるのか・・・。
途中立ち寄った村での人々との出会い
途中、小さな村で30分ほど休憩しました。ここは観光客がツアーで立ち寄るぐらいの小さな村です。
この村のこどもたちはスレておらず、こちらが近づくと恥ずかしがる子さえいました。セルフィー棒を使いスマホで写真を撮り始めると、興味を示してグイグイと寄ってきます。
村長さんにも撮影を頼んでみると、最初は断られましたが「一緒に撮って」とお願いすると快く撮影させてもらえました。写真は人との距離感を縮める最高のコミュケーションツールですね。
ドライバーとガイドは、運転中もチャットと呼ばれる草を常に噛み続けており、この村でもチャットを大量購入していました。チャットは、エチオピアでは合法の麻薬成分が入っている植物で、大量に摂取すると高揚感が得られるそうです。私も一口もらって噛んでみましたが、苦く全然美味しくありませんでした。
世界一の悪路と呼ばれるエルタ・アレ火山への道
車はオフロードを走り始めました。ここは世界でも有数な悪路のひとつなのだそうです。
バウンスしたり、車輪が砂にはまったりで、思わず笑ってしまうぐらいの悪路でした。1時間ほど走ったと記憶しています。ツアーで、この悪路の前に昼食を用意しない理由がわかったような気がしました。
悪路を抜けたあたりで、休憩所のようなところに立ち寄り、遅めの昼食をとりました。ツアー中の食事は、同行しているコックさんが作ってくれます。野菜もたっぷりで、味も悪くありません。
ここで、ツアー3日目のグループと合流しました。他のツアー客に日本人だよと教えてもらい男性に話しかけると、彼も世界一周中でした。名前はけんたろう氏(以下けんちゃんと呼びます)。私と同じく2014年の10月頃に西廻りで世界一周の旅に出発し、アジアから東欧、ヨーロッパ、そしてアフリカへやってきたとのこと。彼の服装はまるで大学生のようで、とても世界一周の旅をしているようには見えませんでした。(私も人のことは言えないですが・・・。彼とはこの後タンザニアまで行動を共にすることになります)
エルタ・アレ火山の溶岩口へトレッキング開始
トレッキング開始地点に着いたのは16時すぎぐらい。ここでトレッキングシューズに履き替え、約30人ほどの団体でエルタ・アレ火山の溶岩口を目指します。標高は613mで、所要時間は約3時間とのことです。
登り始めたのは17時半頃でしたが、途中からあたりが暗くなってきました。足元はゴツゴツとした岩で、持参したヘッドライトの灯りだけが頼りです。寝袋や食料などはラクダが運んでくれ、私たちは自分の最低限の荷物だけリュックに背負い、ひたすら登り続けました。
トレッキング中に私が考えていたのは、イランにいるHakanのことでした。彼とはエチオピアに来てからもWhatsappでほぼ毎日連絡を取っていました。マラリア予防薬の副作用なのか、私は情緒不安定になっており、彼に会いたくて仕方なかったのです。アフリカ縦断をスタートしたばかりなのに、これからどうしたらいいのだろう・・・エリックに話すと「結婚まで考えていないのなら、奴のことは早く忘れろ」と一蹴されました。ごもっともです。
汗だくで疲れが出てきた頃、溶岩口らしきものが見えてきました。
それは、想像を絶する光景でした。
生まれてはじめて見るマグマに大興奮です。
エルタ・アレ火山は世界でも最も低い火山のひとつで、3時間のトレッキングでこれほどまでのド迫力のマグマを見ることができます。溶岩口から数メートル離れたところで、石の上に座り溶岩の様子を眺めました。熱く、一眼レフカメラのレンズが熱で変形してしまわないか不安に思うほどでした。
溶岩の不気味な動きは見ていて飽きませんでしたが、1時間ほどでその場から引き上げました。
その日は、溶岩口から少し離れた場所で野外泊です。夕食を食べるのも忘れかけていた23時頃、夕食が配給されました。満腹で幸せになりながら、配布された寝袋に包まれ就寝したのでした。
*以上、2015年12月時点での情報をもとに記事を作成しました。