キリマンジャロ登山4日目
2016年1月8日 6:45 下山開始
キリマンジャロの頂上でご来光を眺めた後は、ベースキャンプのキボハットに向け出発です。頂上での余韻を楽しみたいところですが、標高が高いため体への影響を考え、滞在する時間は約15分と最小限に留めました。アニータの高山病も心配です。
Uhuru PeakからStella Pointの道のりはこんな感じで、雪が積もっていました。
アニータの調子は依然良くありません。本来であれば私にガイドとしてマンツーマンでつくはずだったアスマニは、完全にアニータにつきっきりになっていました。
Stella Pointからは岩場が続く地獄の道。私は登りよりも下りのほうが苦手で、下りが続くと膝がすぐにガクガクになってしまいます。Gilman’s Pointから下は柔らかい砂地になっていたため、スキーを滑る時のように直角に落ちるようにして下山しました。
9:30頃 キボハットに到着
高山病のリスクを避けるため、仮眠30分+食事30分で約1時間後にはキボハットを出なければなりません。山小屋でベットに横たわった時、約9時間半にも及ぶアタックがようやく終わったことを実感しました。寝たかどうかわからないような仮眠の後、朝食兼昼食のパンときゅうりスープを食べました。
11:00 キボハット出発
キボハットからの帰り道、初日のマラングゲートで顔を合わせた日本人3人組とすれ違いました。
直前にアスマニに「大変だったとか、余計なことは言うな。軽く挨拶だけにしておいて。」と耳打ちされていたため、頂上は綺麗だったとか当たり障りのないことを言って別れました。確かにこれからアタックする人に不安な情報を与えても、仕方ないのです。アスマニは気遣いもできる素晴らしいガイドでした。
ホロンボハットまでの道のりはとても長く感じました。この時点で私の膝は正常に動かない状態になっていて、アスマニをかなり待たせてしまい、申し訳なく思いました。
14:00頃 ホロンボハットに到着
山小屋でアニータと無事合流し、高山病が回復した姿を見て安心しました。食欲も出てきたようです。ふたりで何度もキリマンジャロに登頂できたことがまるで夢のようだったと確認しあいました。
18時頃早めの夕食をいただき、20時頃には就寝です。あまりに疲れていたため、一度もトイレに起きることなく朝の5時頃まで爆睡したのでした。
キリマンジャロ登山5日目
2016年1月9日 6:00起床
山小屋から外に出ると、美しい朝焼けが広がっていました。
登山中は、毎日ポーターが洗面器に温かいお湯を用意してくれました。これで毎朝顔を洗ったり、1日の最後に足を洗ったりでき、とても快適に過ごすことができました。
8:00頃 朝食のあとは下山
同じ日程で登ったメンバーと記念撮影です。ケニア、ドイツ、カナダなど国際色溢れるメンバーで、山小屋での雑談で自然と仲良くなっていました。
次はチームで記念撮影。この5人は最後まで私をあたたかくサポートしてくれました。左上からシェフ、ポーター3人、左下ガイドのアスマニです。
皆が登頂記念のキリマンジャロの歌を歌ってくれ、ここでマラングベースで活動するシェフとガイド2人とはお別れです。ツアー料金自体はチップ込みで支払っていましたが、彼らがあまりに素晴らしく、ひとりひとりにお礼を言いながら、追加でチップを渡しました。
皆次々と下山をはじめます。ホロンボハットから入口のマラングゲートまでは約20km。行きは2日間かけて登って来たコースを、数時間で一気に駆け下りるのです。通常であれば5〜6時間かかりますが、私の膝の状態だと7時間ぐらいかかるかもしれません。そんな不安を私は前日にアスマニに伝えていました。
すると、彼から驚くべき言葉が・・・
彼は前日に、レスキューチームに私が自力で下山できるか相談していたようでした。
私も自力でマラングゲートまで下山したい気持ちはありましたが、下山に時間がかかっていることは自分でも気づいており、素直にアスマニの指示に従うことにしました。レスキューカーは無料で、高山病の症状が酷い人を主に登山口まで搬送するものでした。
11時すぎにレスキューカーがやってきて、約1時間ほどであっという間に入口のマラングゲートへ戻って来ることができました。レスキューカーに乗っていた登山者は私ひとりだけでした。アスマニは「無事に登頂したのだから、無理してまで自分の足で下山する必要はない。膝を悪くするかもしれない」とか「君はよくやった」などと私に何度も声をかけてくれました。
最後にレスキューカーで下山だなんて、情けない。正直、複雑な心境でした。ただアスマニが居なかったら、私はキリマンジャロ登頂に成功できなかったかもしれないと思うと、彼のアドバイスに従うのは本望でした。
最後は少しラクしてしまったものの、キリマンジャロ登山は世界一周の旅の中でもダントツで印象深い思い出になりました。ありがとう、アスマニ。